そもそも答えがあるかわからないのが大人の数学・物理

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ここ最近、大人と子供向けの学習のお話をしています。子供というのは、小・中・高校生までの学習の仕方をいいます。一方、大学以上のいわゆる世にある学問を学び、探求することを大人の学習としています。

今日は、問題と答えに関して、子供と大人の学習の違いをお話しします。

高校までは、ある意味、国(アメリカならば州)が、子供向けに枠を作って、教え方を定めています。

つまり、教える内容に境界を設けて、与える問題は、学習が少しずつ進むようにアレンジされています。もちろん、大学初年度もこんな感じですが、大学の場合、境界はもうけていないので自由にアプローチできます。

ですから、高校までのカリキュラムで行われる大学受験の問題には、答えがあることを前提にしています。

確かにどんなテストも、そんなものです。したがって、ここまでは、何も問題はないのですが、「どんな問題でも答えがある」と信じてしまったまま、大人の世界に入っていくことが問題になるのです。

この前、ある学生から「この証明は、ストレートにこの集合を用いて進めていますが、たぶん、補集合を用いても証明できると思うんですよ。ちょっとやってみてくれますか?」というような質問をいただきました。

まるで、どんな問題設定をしても答えがすでにあるような感じで質問していたようでした。

すでにその証明があって、それを説明してほしいというのならば、まだわかるのですが、このように、新しく問題設定をした場合は、まさに、ゼロから状況を定義して、それを整理し、試行錯誤しながら進めていくものです。

もしかしたら、その方向自体が間違っている場合もあります。また、現在の知識では簡単に求まらなかったり、答えがないと証明されることもあるのです。

物理学のような科学の世界もそうですが、簡単に「こうしたらどうなるのだろう」とか、「なぜそうなるのか」という質問が、現在の技術や数学では簡単に解けないというものはたくさんあります。

残念ながら、意外と、このように、大学を卒業した人たちでも安易に答えを求めようとする人が多いような気がします。

点数主義的で、答えを得ることを他人任せにしている人たちというのは、まだ高校までのカリキュラムに縛られているのかもしれません。

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大人の数学・物理の学び方:本当に高校レベルを卒業しましたか?

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特に日本国内では、教育は高校までの学習に重きを置いていますが、残念ながら「大人」としての学び方は一切教えていません。

社会的責任を持つ大人として、物事の理解の仕方や、問題の解決の仕方は、とても重要です。しかしながら、大学受験を中心とした勉強だけを強調すると、その大事な「大人」の学習力が身に着きません。

高校までは、いわゆる、お子様学習であって、そのためにカリキュラムを整えて、問題なども解きやすくアレンジされているのです。

そこから、大学に入って「大人」としてOpen-ended(いわゆる決まった解答がない)問題にあらゆる視点からアプローチしていく力を養っていくのです。

「それでも、数学・物理やその他の科学、技術であれば、答えは決まっているんじゃないの?」という人もいるでしょう。もちろん、過去の問題には答えがありますが、現在、目の当たりにしているものは、条件が違ったり、やり方が変わったりなど、多くの局面から今までにない答えを求めていかないといけないのです。

まさに、大人の課題は、自分で理解し、自分で解答を作り、自分で確かめないといけないのです。上から与えられた答えが決まっている「大学受験」までの子供の課題ではないのです。

大学で扱う教科書は、今ある学問の体系全体を見通しているため、ここまで学べばよい、というような境目がありません。

簡単か難しいか、というよりも、一番基礎的な原則から出発して、そこからどんどんと広がって行っているものを扱っています。

そこで、大人の学習の仕方、大人の理解の仕方が重要になります。まずは、何が基本で、何が一番重要な枠組みかを把握します。今わからないことは、ぼんやりと頭にとどめて、他の文献や議論などによってゆっくりと外堀を埋めていくように理解していきます。

高校までだと、ひとつひとつ理解して進んでいきましたが、大学レベルでは、内容が抽象的なものや高度に複雑なものも混在しているので、「理解できないと先に進まない」という態度では、ひじょうに学習効率が悪くなります。

大人として始める学習は、子供の学び方からの卒業から始めてみてはどうでしょうか?

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よくテレビで言われる物理の2つの間違い

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少し揚げ足取りっぽく聞こえるかもしれませんが、職業病と言いますか、テレビを見ていて、気になってしまうことが2つほどあります。

最初は、スタンガンの人体実験で、やられたスタッフが「電流が走ってビリビリきました」というコメントです。ほとんどの人が『電流』という言葉を使いますが、電流が流れれば、死んでしまいます。

スタンガンのビリビリ感は、電圧をかけることによって生じるものです。電圧は神経に作用します。ですから、あのような激しいしびれを感じるのです。

スタンガンだと数万ボルトの電圧を使っています。しかしながら、電流は流れないように工夫しているので、スタンガンが直接、致命傷を与えることはありません。

一方で、電流は体内を流れると、重要な臓器を焼き切ってしまいます。これは、一般の電気回路でもそうですが、電流が基準より多く流れるとフューズが切れるのはそのためです。

電流と電圧は、全く違う物理量だと、覚えておきましょう。

2つ目は、かなりマニアックですが、「360度見渡せます」というコメントです。確かに、水平な方向を保って1周、ぐるっと回るのは360度です。

しかし、空も見上げることができて天の半球すべてみられる状態は、360度のような平面角ではなく、立体角というものを使い、単位は平方度かステラジアンを使います。

半球全体を見られる角度は、約、20,626平方度か、2πステラジアンと呼ぶ方が正しいのです。

でも、こんな言い方をしたら、視聴者のほとんどが「何言ってるかわかんない!」と苦情が来ると思うので、360度でもいいかもしれませんね。

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やっぱり高校物理は、退屈で面白くない

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昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

師匠「今日、書店に行って高校の物理の参考書を久々に見たんじゃが、面白みが全然ないな…」
秋山「『物理の○○』とかいう参考書は、わかりやすいって有名ですよ。」
師匠「それじゃ、わしが手に取ってみたのは。確かに、悪くはない。見た目もキレイじゃし、絵や図も多かった。しかしじゃ。。。」
秋山「しかし、…どうしたんですか?」
師匠「所詮、そこまでなんじゃ。ただ、問題の解き方をきれいに分かりやすくしているだけなんじゃ。」
秋山「それがいいんじゃないですか?高校生は、それを求めていると思うんですが。」
師匠「君の前に初めて食べる果物が出されたとしよう。食べたら、甘くおいしいと感じたとする。君は、それが最高の味だと思うじゃろ。」
秋山「そうですね。初めてですから。」
師匠「しかし、もっとうまい状態の物を食べた人にとっては、君が食べたのは、普通の味に感じるかもしれん。つまりじゃ、本当の物理を知っている者にとって、わたされた問題を、こうやって解けば良い点が取れる、というのは、退屈なものに感じてしまう。」
秋山「じゃあ、本当の物理って何ですか?」
師匠「それは、人類が自然を前にどうやってそれを定式化するかの歴史を観賞し、自分もやってみること、それが、本当の物理じゃ。」
秋山「もう少しくわしく教えてくれますか?」
師匠「高校の教科書に載っている問題の中には、当時ノーベル賞の研究結果もある。しかし、謎が解けるまでは、誰にもどうなっているかわからないのじゃ。」
秋山「それは、当たり前じゃないですか?」
師匠「当たり前なんだが、もう少し聞いてくれ。模範解答がないものを解くためには、あらゆる理論や実験方法を考えなければならない。また、理論が原理原則に合うのか、新しい仮説が必要なのか、しかも、他の問題もその理論で解くことができるのか。全体の理論の中で一貫性があるのか。数学的に解くことができるのか、など多くの試行錯誤が必要なのじゃ。」
秋山「でも、高校生にそれをやれというんですか?」
師匠「そのまま、生徒に対して自由にやれと言ってもできんじゃろ。ただ、そういうように教えることはできる。科学の発展において、その背後の哲学的な部分は、探求への動機につながるのじゃ。」
秋山「今度、師匠にその辺の物理を教えてもらえれば、ありがたいです。やっぱり、教育って単なる作業ではないんですね。何を知って、どう考えていくか、それを人にさせるという、本当に知的な職人にならないといけないようですね。」

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いまさら聞けない、「ナノ物理」っていったい何だったの?

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昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

秋山「そういえば、最近、あまり『ナノ』という単語が聞かれなくなりましたね。もちろん、まだ重要な分野の一つだと思うのですが、ナノ物理っていったい何だったんでしょうか?」
師匠「そもそもナノとは何か知っておるかな?」
秋山「あ、あのー、実はそこから説明してほしいのですが…」
師匠「ナノとかマイクロは、10分の1の乗数を表す接頭語で、マイクロは、10分の1の6乗、つまり、0.000001じゃ。ナノは10分の1の9乗だから、0.000000001になる。」
秋山「へぇーそういう意味だったんですか。で、物理とどう関係するんですか?」
師匠「つまり、ナノ物理は、0.000000001メートルの世界の物理ということじゃ。原子の世界は、これよりさらに10分の1小さい。また、マイクロの世界は、生物の最小単位と言われている。ナノは、その中間で、いわば、分子レベルの大きさの世界じゃ。」
秋山「そんなに細かく分類されるんですね。でも、ナノ物理という新たな分野を作った意味があったのですか?」
師匠「物理は、単純に分けると古典物理と量子力学になる。古典物理は、我々の生活上あらわれる物体の運動で、その物理に従う物体は、ある程度大きいものとされる。一方、量子力学は、電子や光子などの微視的粒子を表現する物理で、古典力学とは違った性質を示す。」
秋山「なるほど、わかります。」
師匠「で、ナノスケールは、いわゆる、その両者の中間で、実体としては、電子などに比べて十分大きく、古典物理的なんじゃが、物理的な性質は、量子力学なしに記述できないのだか、一筋縄に行かない部分もある。」
秋山「結構、興味深い分野なんですね。」
師匠「うむ。歴史的には、量子力学が発展して、さらにその奥の素粒子を探求してきたのじゃが、ちょっと後ろに下がって、分子レベルを調べてみると、意外な結果を出した、っちゅう感じじゃ。」
秋山「だんだん、わかってきました。」
師匠「しかも、生物レベルにも関係しているし、技術的発展も面白いということで、一気にブームとなった。もちろん、現在でも研究は盛んだと思うが、流行り言葉としての『ナノ物理』は、もう使われなくなったのかもしれん。」
秋山「でも、まだまだ分からないことがたくさんある、というか、これからの可能性があるということを知ることができて、良かったです。」

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物理学とは『考えてきた証』だった…と気づく自分

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昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

秋山「東大物理学者が教える『考える力』の鍛え方、という本を読んだのですが、とても面白かったです。問題を見つける力、それを解く力、諦めない人間力、なんか、僕も、考えるっていう事をしてこなかったのを実感しました。」
師匠「わしも本屋で見かけた。結構、人気のあるような本だし、著者の人も教えるのが上手そうな印象だったな。」
秋山「それと、物理って物理学者だけの物じゃない感、というのも学べましたね。」
師匠「うむ、わしの専門も物理だけに、そう言ってもらえるとうれしい。実際、その本で言われている、『考える力』と物理は表裏一体なんじゃ。物理をするというのは、常に今までの原則と今までにない原則の中で、実験結果を含めて、あらゆることを考えなければいけない。」
秋山「そうなんですね。僕が驚いたのは、『問題を見つける力』という点です。実際、教育の現場では、問題は与えられるものだし、それを先生に受け入れられるように答えるだけでいい。逆に、問題を見つけると、『なんで余計なことをするんだ!』って怒られますよね(笑)」
師匠「そうじゃな。(笑)問題を与えて、それを正確に素早く解くのは、効率は良いが、環境が変わると、今までのことが全く役に立たなくなってしまう。そこで、問題を発見したり、それを解決するには、考えるクセ、というか訓練を受けていないとなかなかできないかもしれん。逆に言えば、与えられた問題を正確に素早く解くというのは、それほど頭を使っていない、ということじゃ。」
秋山「頭を使うで思い出しましたが、毎日忙しく働いていた30代の男性が、急に物忘れが激しくなって、病院で若年性認知症と診断されたらしいです。実際、忙しいからといっても、毎日同じことをやってたり、うまく切り替えができないと、脳を使ってないことになるようです。」
師匠「人にもよるが、物理学をする、というのには、緩急がある。つねに問題を頭の片隅に置きながら、色々なことをしたり、コーヒーを飲みながら、学生や同僚と話をしたりしながら、アイデアが浮かぶ、浮かんだら、とことん行き詰るまで計算したり実験したりする。」
秋山「これって、どんな仕事でも応用できますよね。実は、暇そうに時間を潰しているように見えて、つねに考えている。で、きっかけが見つかれば、仕事を加速する、という方が実際、仕事の効率がいいこともあります。」
師匠「ま、暇そうにしている者にとっては良い言い訳になるが。(笑)」
秋山「たしかに。でも、本当に暇な人は『暇だー!』って言いますよね。」
師匠「とにかく、『考えることは大事』というが、なぜそうなのか、どうやってそうするか、と言える人は少ない。しかし、物理学を経験している人から、物理学者がどうやって問題を解決して来たかの歴史や事実を知るだけで、リアルに『考えること』を感じることができるはずじゃ。」
秋山「『考えてきた証』が物理学なんですね。。。」

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「近似的手法」にみる物理学の奥深さと科学的視点

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昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

秋山「今回は『近似』という方法を物理が取っていることが気になって、師匠にお聞きしたいんですが…」
師匠「例えば、どういうことじゃ?」
秋山「そもそも、なぜ近似という、いわゆる、曖昧というか、大体のことを精密科学である物理が使うんでしょうか?」
師匠「昔、話したが、きれいに、精密に解けるケースというのは限られているのは知っておるじゃろ?」
秋山「はい、確か、三つ以上の同じくらいの大きさの物体が引き合う運動でさえ、厳密な方程式の解が関数で表せないんでしたっけ?」
師匠「そうじゃ。」
秋山「だとしたら、コンピュータで全部計算させれば近似なんて使わなくていいんじゃないでしょうか?」
師匠「いい質問じゃ。決して間違ってはいないが、近似法には大きく分けて2つの利点がある。もちろん、他にも細かい理由があるかもしれんが、今回は2つに絞る。」
秋山「わかりました。」
師匠「まずは、物理システムの数理的な考察をするのに、なるべく数式をシンプルな形で残す、という部分に近似の意義があるんじゃ。」
秋山「なるほど。」
師匠「つまりじゃ、数式が残っていれば、数学的な洞察が働く、それで、いろいろと理論的な考察がしやすくなる、ということじゃ。いきなりコンピュータを使って、結果だけだしても理論的な発展がおろそかになってしまう。」
秋山「確かに、コンピュータの結果だけでは、方程式を変えた結果が見えても、方程式そのものを洞察できないですしね。」
師匠「ま、これは科学者のセンスにもよるが、近似法を学ぶことで物理的性質を思い浮かべられるっちゅうやつじゃ。」
秋山「もう一つは何ですか?」
師匠「これは、コンピュータ・シミュレーションにも関係するんじゃが、物理システムが大きくなったり、物体が増えれば、計算量が増大になる。」
秋山「現代のコンピュータでもですか?」
師匠「うむ。もちろん、ハードはどんどん良くなるが、物体などもどんどん増やせる。それを、まともに解くと、何年も、何十年も、下手をすれば、我々が生きている間に答えが出ない場合もある。」
秋山「え、それはすごいですね。」
師匠「そこで、近似を施せば、余計な計算を防げるんじゃ。もちろん、コンピュータプログラム自体にも近似を使うが、これで、かなり時間が短縮され、しかも、結果の誤差も小さく収められる。」
秋山「うーん、なるほど。近似は単に『大体の結果を求める』以上に、科学を発展させるための方法論の一つだったとは。勉強になりました。」

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物理学の役割を少し違った視点から見てみるとその使命感がわかる!

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昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

秋山「よく物理学ってどんな学問なのって聞かれるんですが、『自然を理解する科学で機械やロケットなどに応用されている』なんて答えてるんですが、師匠ならどう答えますか?」
師匠「それはそれで正しいのだが、感情に訴えていないかもしれんな。」
秋山「そうなんですよ。物理とエンジニアリングの区別もないように理解されますしね。」
師匠「特に日本では数学・物理・工学の間の壁が低いかもしれんな。これはこれで協力しやすくていいんだが、科学としての物理を理解するかしないかで、学問的な意義が見失われる可能性もある。」
秋山「科学的な見方ですね。」
師匠「うむ。今回は、前に行ったことを、あまり繰り返さずに、違った視点から物理を語ってみようと思う。」
秋山「楽しみです。」
師匠「ファラデーは知っとるな。」
秋山「電磁気の法則を発見した人ですよね。」
師匠「そうじゃ。彼が、『あなたの仕事は何の役に立つのですか?』と聞かれて、『新生児が何の役に立つのだろうか』と答えたそうじゃ。」
秋山「それは、すごい受け答えですね。その真意は何なんですか?」
師匠「つまり、物理というのは、生まれたての赤ん坊のようだ、ということじゃ。」
秋山「赤ん坊と物理、ですか。。。」
師匠「生まれたばかりの赤ん坊は何もできないし、ある一定の時間がたつまで、親や周りが手をかけなければならない。つまり育て上げるまでいろいろありながら、自立していく過程を踏む。しかしながら、社会としても赤ん坊を必要としているし、それ以上に、親が無条件で授かりたいと思い、無条件に愛情を注げるものでもある。」
秋山「それはわかるのですが、物理とどう関係してるのですか?あ!確かに、発見されたばかりの物理的事実は、何の役に立つかわからないし、理論などに組み込まれるまでも時間がかかりますよね。つまり、多くの科学者によって育て上げられるもの。社会や国家も基礎科学(物理)を必要としていますし、それを生み育てるための投資もする。何よりも、人類が自然のメカニズムを求めること自体、学問への献身的愛情とも見て取れますね。」
師匠「そうじゃ。物理が役に立つか経たないか、というよりも、物理という学問は、親や社会が考える赤ん坊そのものだ、という深い意味があるのじゃよ。」
秋山「なるほど、そういうふうに見ると、物理という学問の意味が感覚的によくわかりますね。」

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「統計力学」って物理が曖昧なこと言っていいの?

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こんにちは。物理学といえば、もっぱら、ニュートンの力学やアインシュタインの相対論ですが、今回は、あまり表に出てこない「統計力学」のお話をしたいと思います。

統計と言えば、多くのデータから、平均やばらつきを求め、全体の傾向を求めるための手法です。

力学は、方程式があって、初期値を与えると未来の運動は決定される、というものです。

さて、この二つが相容れるのでしょうか?

確かに、1つや2つの物体の運動は、簡単ですし、想定外の力が働かなければ、ほぼ確実に予測可能です。しかし、もっと多くの物体が集合的に運動していたらどうなるでしょうか。

もちろん、それでも、ひとつひとつの物体の方程式が立てられます。つまり、連立方程式を解くことになります。(厳密に言えば連立微分方程式ですが)

しかし、精密に連立方程式を解くには、方程式の数だけパラメータが必要になります。中学・高校で習ったのを覚えているでしょうか。2つ未知数を解くとすれば、2つ方程式が必要になると同じことです。

ただ、多粒子が複雑に絡み合う運動のすべてのパラメータを書き出すのは不可能です。

そこで、粒子一つ一つを記述するよりは、粒子全体の動向を調べる方が、全体の力学的な性質を理解できるということで、統計的手法を使うというのが、統計力学です。

注意しなければいけないのは、統計力学は全体の運動を記述するというのではなく、ひとつひとつの粒子の運動が全体の物理的性質にどのように影響するか、という見方です。

例えば、液体や空気の運動は、流体力学で議論しますが、空気の分子の運動から導く、巨視的な物理量を議論するには統計力学になります。

統計物理的な手法は、運動の物理的性質を分類したり、解析したりするので、ひじょうに広範に使われるものなので、一度、勉強してみるのも良いのではと思います。

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アインシュタインの相対論は、絶対的なものを排除してしまったのか?!

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アインシュタインの相対性理論を勘違いしているような、記事を見かけることがあります。少し大人げないかもしれませんが、誤解されたくないので、正しいことをお伝えしたいと思います。

相対性理論というのは、アインシュタインの前にもありました。(厳密には相対性原理といいますが)それは、止まっている人が観測しても、動いている人が観測しても、ある物体の運動の実験値は同じであるとすることに基づいています。これを相対運動と言います。

つまり、物理的結果が客観的であるために、両者の観測の仕方は、相対的に差し引きしないといけない、ということです。これを「ガリレイ変換」といいます。

では、アインシュタインは、何か新しいことをしたのでしょうか?実は、このガリレイ変換は、物体の運動には適用できるのですが、電気に関する運動では、使えないのです。

さらに、ガリレイ変換は、光の速さに近づいていくと、物体の運動にも適用できなくなります。

そこで、多くの物理学者や数学者が、この謎を解明すべく、いろいろな案を出していきました。ここで、ローレンツ変換というのが、有効だとわかったのですが、物理学的な解釈が分かりませんでした。

ここでアインシュタインが「時間が遅れる」という概念を付与して、ある意味、普遍的な相対性理論を完成させました。

ここまでは、特殊相対論と言われます。つまり、等速運動における、相対運動の一般理論です。

もちろん、ここでの相対性というのは、絶対的な何かと比べているわけではありませんよね。

その後、一般相対性理論を論じる時に、相対性というものが、「取り換え可能な物理量」というように拡張されます。つまり、「区別ができない」という意味で相対的としました。

そして、アインシュタインは、加速度というものと、重力という物を「相対的」に扱うことによって、相対論そのものを加速度運動まで一般化しました。

もちろん、相対論の哲学的背景に比較対象として絶対性を加味することもできますが、科学的な用語としては一切出てきません。

物理学における、相対性理論は、「絶対的理論」と対比されるというのは、ないということでした。

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