本来の道徳教育とは、人類にとってより良い教育環境にするために

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道徳や法律に関して、自身、専門ではないのですが、教育やその環境に十分影響があるので、経験に基づいた考察をここで議論できればと思います。

ちまたでは「道徳の授業が何の役に立つかわからない」という声をよく聞きます。ただ、一方で政治、社会や教育において、道義的な行為などで何かおかしいと思っている人も多くいます。

つまり、道徳教育を推奨するのは多かれ少なかれより良い社会や国にしていきたいという動機があることは明らかです。

しかし、現実問題としてほとんど機能していないのも事実でしょう。そこで、もう少し理解可能な道徳教育を小学校から大学初年度くらいまでのカリキュラムを提示したいと思います。

まず、この一連のカリキュラムを、宗教・倫理、道徳、法律という横の並びにします。なぜかと言いますと、それぞれ人々と社会に関連する役割が違うからです。

宗教・倫理は自発的な善、普遍的な善を考えるもので、何が正義なのかという実践理論です。これは押し付け的な価値ではなく、様々な例から自身の中で醸成していくもので、低学年では深入りしない方がよいかもしれません。

道徳は、地域や国における人々の価値から善悪の判断を行ったり議論するもので、現行の「道徳の授業」に近いものになるでしょう。

最後に法律は集団生活を送るにおいて細かい価値観の違いを超えて問題のない社会を送ることができるためのルールみたいなもので、いわゆる、社会生活を送るにおいて行動の損得勘定の基準のことです。

実は、実社会、または、世界全体を考える場合、この3つの概念が別々に存在し、かつ、密接に関係しあっているということを理解しなければ、意味のあるカリキュラムにならないのです。

小学生には基本的な善悪や共通の作法・マナーを教えることが重要でしょう。疑問を持ったりする児童もいると思いますが、議論するための基礎知識とすればよいでしょう。

中学生になれば、倫理、道徳、法律の違いを教えるのが重要になります。道徳が身近な価値に基づいた善悪の作法とすれば、法律は「最低限の倫理」と言われるがごとく、社会全体の箍(たが)が外れないようにするもの。倫理はより普遍的な善悪、または、正義への判断で法律とは相補的な存在になっています。

法律と道徳は別物であることの理解と、倫理に関しては、深く議論するよりは、世界各国の善悪の価値観や作法の違いなどを学ぶのがよいと思います。余裕があれば、ケーススタディや討論などあっても良いでしょう。

高校では、道徳的な問題意識と法律との関係に集中しても良いかもしれません。というのも、道徳は人の考えや思いに密接する一方で、法律は一律で行為に関して規定するものなので、2つの違いと法律の定め方によってどのような問題が生じたり、モラルハザードが起きたりなどの議論は有効でしょう。

大学に入れば、もっと普遍的な善悪を世界各国との関係性などから議論しても良いと思います。これは、まさにマイケル・サンデルが政治哲学の講義でやっていたようなことですが、小中高での基礎をもとに倫理観や政治的な決定などに広げて矛盾する事柄に対してどういう議論を行うかが中心になります。

ここでの提言は理想なので一貫教育でなければ実現は難しいかもしれませんが、多かれ少なかれこういう方向で行けば、何のために「道徳」と言われていることを学ばなければいけないか理解しやすいと思います。

なぜこのようなことを考えたかと言いますと、話を聞くと、多くの大人や政治家などが倫理・道徳と法律の違いなどあまり理解されていないようなのですね。特に日本人だとすべてを一緒くたにしてしまうクセがあって、議論も収束せずに空気でなんとなく決めている感じがします。結局、効果のない法律などが通ってしまって、裏では関係者が陰口をたたく、という光景ばかり見ているような気がしたからです。

道徳だけではないのですが、学ばせるカリキュラム(授業)の意味を教師も学生もわかっていなければ、長期で見ると無駄な時間を過ごすことにもなっていきます。

意義のある教育のため、このようにカリキュラムを見直すというのは重要になってくると思います。

大人のための家庭教師

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