大人の数学・物理の学び方:本当に高校レベルを卒業しましたか?

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特に日本国内では、教育は高校までの学習に重きを置いていますが、残念ながら「大人」としての学び方は一切教えていません。

社会的責任を持つ大人として、物事の理解の仕方や、問題の解決の仕方は、とても重要です。しかしながら、大学受験を中心とした勉強だけを強調すると、その大事な「大人」の学習力が身に着きません。

高校までは、いわゆる、お子様学習であって、そのためにカリキュラムを整えて、問題なども解きやすくアレンジされているのです。

そこから、大学に入って「大人」としてOpen-ended(いわゆる決まった解答がない)問題にあらゆる視点からアプローチしていく力を養っていくのです。

「それでも、数学・物理やその他の科学、技術であれば、答えは決まっているんじゃないの?」という人もいるでしょう。もちろん、過去の問題には答えがありますが、現在、目の当たりにしているものは、条件が違ったり、やり方が変わったりなど、多くの局面から今までにない答えを求めていかないといけないのです。

まさに、大人の課題は、自分で理解し、自分で解答を作り、自分で確かめないといけないのです。上から与えられた答えが決まっている「大学受験」までの子供の課題ではないのです。

大学で扱う教科書は、今ある学問の体系全体を見通しているため、ここまで学べばよい、というような境目がありません。

簡単か難しいか、というよりも、一番基礎的な原則から出発して、そこからどんどんと広がって行っているものを扱っています。

そこで、大人の学習の仕方、大人の理解の仕方が重要になります。まずは、何が基本で、何が一番重要な枠組みかを把握します。今わからないことは、ぼんやりと頭にとどめて、他の文献や議論などによってゆっくりと外堀を埋めていくように理解していきます。

高校までだと、ひとつひとつ理解して進んでいきましたが、大学レベルでは、内容が抽象的なものや高度に複雑なものも混在しているので、「理解できないと先に進まない」という態度では、ひじょうに学習効率が悪くなります。

大人として始める学習は、子供の学び方からの卒業から始めてみてはどうでしょうか?

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数学の初学者が電卓を使ってはいけない理由

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数学や物理を勉強するのに電卓を使っていいのでしょうか。良く昔、子供のころ、親や先生から「電卓で計算してはいけません」と言われていなかったでしょうか?

ではなぜなのでしょうか?主な理由としては「脳が楽をすることを覚えてしまっては、計算力が養われないから」なのでしょう。

しかしながら、当の本人は実感できないのも事実です。そこで、私が教える立場から、初学者が電卓を使って数学を学ぶべきではない事例をご紹介します。

以前、ある大人の方に数学(中学・高校レベル)を教え始めました。最初は、電卓を使っていたのですが、なんとなく、何を計算しているのかわかっていらっしゃらないようでした。

そこで、急遽、電卓の使用を禁止して、手で計算をさせるようにしました。確かに、面倒なのですが、そこから、数字を扱う感覚が養われてきた感じがして、答えが合っているか間違っているかの判断もできてきたようでした。

手で計算するだけが原因ではないと思いますが、明らかに、脳のいろいろな部位を使っているように見えました。

実際、教える際も、どのように計算しているか、また、どのように検算するかを意識させるには、手計算の方が効果的な気がします。

一方で、アメリカは、高校生くらいから電卓を使わせているようです。もちろん、それはそれでよいのですが、計算慣れしていない人は、電卓が何を計算しているかわからずにたたいているので、答えと違う結果が出ると混乱しがちです。

また、初歩的な電卓の知識もなければ、修正できないのも問題です。例えば、掛け算と割り算が、足し算や引き算よりも先に計算されたりなどわからなければ、何度やっても答えは違ったものになります。

やはり、私が子供の頃に受けてきた指示は正しいというのは、教えることを通じて基本的に正しかったと言えます。

まとめとして、まず、基本的な計算の原理を手と紙で体で習得しましょう。これは、大人であっても、初学者であれば、絶対にそこから始めるべきです。

そのあと、電卓を使うにあたっては、電卓の使い方の手ほどきを受けましょう。電卓にしても数学ソフトを使うにしても、それらは、無条件に正しい答えを出すわけではありません。あなたが打った入力に対して実直に答えを返しているだけなのです。

どんなに便利な世の中でも、最終的には人間が確認できることを担保していないといけないようですね。

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大人が満足!英語の「自動詞・他動詞」の極め方

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今日、たまたま、コマーシャルで、英語の自動詞と他動詞の覚え方を見かけました。

内容は、「~を、と目的語を取る動詞は他動詞で、そうではない動詞は自動詞、know は、~を知るだから他動詞、live は、~を住む、とは言わないから自動詞」でした。

たしかに、言う通り、基本的な区別はこのようにしても良いと思います。さらに付け加えると、「~に」とか「~へ」というのが付く場合、to や in をつけて表現する自動詞である場合が多いです。

例えば、上の例で言う、live ですが、日本語の例文では、「~に住む」なので、自動詞として、live in ~ という感じです。

まぁ、ここまでは、高校レベルと言ってもいいかもしれません。大人の皆さんには、もう少し突っ込んだところまで、お話しましょう。

まず、基本は、英語と日本語がすべて1対1で対応しているわけではないということです。英語の感覚に近づけていくのが先決なのですが、一朝一夕には身につかないので、例外などから少しづつ学んでいくことがおすすめです。

実は、上の例でも、know は他動詞だけでなく自動詞にもなりえます。例えば、know about ならば、「そのこと(人)について良く知っている」という感覚です。

ここで、やっかいなのは、「~について」というのに対応する about という前置詞です。

日本語では、重宝なフレーズなのでいろいろな動詞のあとにくっつけられますが、英語では当然、自動詞・他動詞によって使えるものと使えないものがあります。

例えば、「~について議論する」だと、ついつい、discuss about としてしまいがちですが、discuss は他動詞で、about は後につきません。この場合は「~を議論する」と覚えればよいでしょう。

次の例ですが、「~に影響を与える」という日本語の表現ですが、上で説明した、ルールで解釈すると、to などの前置詞が付きそうです。

しかし、それに対応する affect という動詞を使う場合、他動詞なので、to や in などの前置詞は取りません。

したがって、「私は彼に影響を与えた」は、「I affected him.」になります。この場合、「~を」を取るような表現でなくても他動詞になるケースです。

こういうのは、ある意味、日本語から考えると変かもしれないですが、英語は英語だから、という感覚で学ぶべきでしょうし、大人の英語として、他の人と差をつけられる部分だとも思います。

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いまさら聞けない、「ナノ物理」っていったい何だったの?

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昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

秋山「そういえば、最近、あまり『ナノ』という単語が聞かれなくなりましたね。もちろん、まだ重要な分野の一つだと思うのですが、ナノ物理っていったい何だったんでしょうか?」
師匠「そもそもナノとは何か知っておるかな?」
秋山「あ、あのー、実はそこから説明してほしいのですが…」
師匠「ナノとかマイクロは、10分の1の乗数を表す接頭語で、マイクロは、10分の1の6乗、つまり、0.000001じゃ。ナノは10分の1の9乗だから、0.000000001になる。」
秋山「へぇーそういう意味だったんですか。で、物理とどう関係するんですか?」
師匠「つまり、ナノ物理は、0.000000001メートルの世界の物理ということじゃ。原子の世界は、これよりさらに10分の1小さい。また、マイクロの世界は、生物の最小単位と言われている。ナノは、その中間で、いわば、分子レベルの大きさの世界じゃ。」
秋山「そんなに細かく分類されるんですね。でも、ナノ物理という新たな分野を作った意味があったのですか?」
師匠「物理は、単純に分けると古典物理と量子力学になる。古典物理は、我々の生活上あらわれる物体の運動で、その物理に従う物体は、ある程度大きいものとされる。一方、量子力学は、電子や光子などの微視的粒子を表現する物理で、古典力学とは違った性質を示す。」
秋山「なるほど、わかります。」
師匠「で、ナノスケールは、いわゆる、その両者の中間で、実体としては、電子などに比べて十分大きく、古典物理的なんじゃが、物理的な性質は、量子力学なしに記述できないのだか、一筋縄に行かない部分もある。」
秋山「結構、興味深い分野なんですね。」
師匠「うむ。歴史的には、量子力学が発展して、さらにその奥の素粒子を探求してきたのじゃが、ちょっと後ろに下がって、分子レベルを調べてみると、意外な結果を出した、っちゅう感じじゃ。」
秋山「だんだん、わかってきました。」
師匠「しかも、生物レベルにも関係しているし、技術的発展も面白いということで、一気にブームとなった。もちろん、現在でも研究は盛んだと思うが、流行り言葉としての『ナノ物理』は、もう使われなくなったのかもしれん。」
秋山「でも、まだまだ分からないことがたくさんある、というか、これからの可能性があるということを知ることができて、良かったです。」

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学校で習った算数や数学ってどこで使うの?私には関係ないんじゃ。。。

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昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

秋山「この間、ネットで、『因数分解とか中学で習ったのですが、実生活では何の役に立ちますか』という質問があって、いろいろな人が答えていたのを読んだのですが、もし、自分が聞かれたら、答えるのが難しいな、と思いました。」
師匠「うむ。確かに、数学は、ある意味、特殊なところもあるからな。生粋の数学者に同じようなことを聞いても、『わからない』と答える人が多いのもそういう理由だからじゃ。」
秋山「じゃあ、この質問は基本的に難しいんですか?」
師匠「数学者は数学的な論理世界の構築にはまっている人たちなんじゃ。それを物理学者などの科学者が、道具と見立てて、自然を理解するために応用しておる。もちろん、社会学者や医学者も数学を使って社会や医療を理解したりしている。」
秋山「因数分解の件で、回答していた人は、『計算が簡単になる』とか、『方程式の解を求めるのに使える』とか言ってましたが…」
師匠「何の役に立つか、に関しては、基礎科学や基礎数学では基本的に即時に言及できない。『基礎』というのは、そのものの性質を理解することじゃから、どう応用されるかは、他の人の気づきなんじゃ。つまり、例えて言えば、ある芸術肌の職人が自分の世界にのめりこんで、彼にとって素晴らしい作品を作ったとする。それを、他の分野の専門家が、『これは、こんなものにも使える、あんなことにも使える!』というようなものじゃ。」
秋山「あ、思い出しました。ファラデーの言った『新生児が何の役に立つのか』ですね。」
師匠「日本の代表する数学者である森重文氏も似たようなことを言っておった。『正しいと証明されたことは、いつか使われる』と。」
秋山「すばらしいお言葉ですね。」
師匠「学問には、相補的なところもあって、基礎や応用という側面だけでなく、いろいろな方向から議論されて、それを機に、また新たな発見が生じる。数学、科学、技術、工学を通じて、人類が問題を解決し、新たな問題を発見し、また哲学を見出し、いっしょに成長していくものなんじゃ。」
秋山「なるほど。いくつもの側面から構成されていることを、単純に一つの側面で結論付けること自体、物事の本質を見極められなくなってしまう、という例なのかもしれませんね。」

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物理学とは『考えてきた証』だった…と気づく自分

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昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

秋山「東大物理学者が教える『考える力』の鍛え方、という本を読んだのですが、とても面白かったです。問題を見つける力、それを解く力、諦めない人間力、なんか、僕も、考えるっていう事をしてこなかったのを実感しました。」
師匠「わしも本屋で見かけた。結構、人気のあるような本だし、著者の人も教えるのが上手そうな印象だったな。」
秋山「それと、物理って物理学者だけの物じゃない感、というのも学べましたね。」
師匠「うむ、わしの専門も物理だけに、そう言ってもらえるとうれしい。実際、その本で言われている、『考える力』と物理は表裏一体なんじゃ。物理をするというのは、常に今までの原則と今までにない原則の中で、実験結果を含めて、あらゆることを考えなければいけない。」
秋山「そうなんですね。僕が驚いたのは、『問題を見つける力』という点です。実際、教育の現場では、問題は与えられるものだし、それを先生に受け入れられるように答えるだけでいい。逆に、問題を見つけると、『なんで余計なことをするんだ!』って怒られますよね(笑)」
師匠「そうじゃな。(笑)問題を与えて、それを正確に素早く解くのは、効率は良いが、環境が変わると、今までのことが全く役に立たなくなってしまう。そこで、問題を発見したり、それを解決するには、考えるクセ、というか訓練を受けていないとなかなかできないかもしれん。逆に言えば、与えられた問題を正確に素早く解くというのは、それほど頭を使っていない、ということじゃ。」
秋山「頭を使うで思い出しましたが、毎日忙しく働いていた30代の男性が、急に物忘れが激しくなって、病院で若年性認知症と診断されたらしいです。実際、忙しいからといっても、毎日同じことをやってたり、うまく切り替えができないと、脳を使ってないことになるようです。」
師匠「人にもよるが、物理学をする、というのには、緩急がある。つねに問題を頭の片隅に置きながら、色々なことをしたり、コーヒーを飲みながら、学生や同僚と話をしたりしながら、アイデアが浮かぶ、浮かんだら、とことん行き詰るまで計算したり実験したりする。」
秋山「これって、どんな仕事でも応用できますよね。実は、暇そうに時間を潰しているように見えて、つねに考えている。で、きっかけが見つかれば、仕事を加速する、という方が実際、仕事の効率がいいこともあります。」
師匠「ま、暇そうにしている者にとっては良い言い訳になるが。(笑)」
秋山「たしかに。でも、本当に暇な人は『暇だー!』って言いますよね。」
師匠「とにかく、『考えることは大事』というが、なぜそうなのか、どうやってそうするか、と言える人は少ない。しかし、物理学を経験している人から、物理学者がどうやって問題を解決して来たかの歴史や事実を知るだけで、リアルに『考えること』を感じることができるはずじゃ。」
秋山「『考えてきた証』が物理学なんですね。。。」

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政治や世界を物理学的にみると、こうなっちゃいました…

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昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

秋山「政治や世界を見る時、民主主義や独裁政治、経済のあり方など多岐にわたります。しかし、どの政策を行ってもうまくいっていないように見受けられますが、どのように俯瞰すればよいのでしょうか?」
師匠「たしかに、専門家の言っていることは、正しいと思うのじゃが、物事が大きすぎて、しかも複雑じゃから、なかなか思った通りには行かない、といったところじゃろう。わしの専門は物理じゃから、偏見は承知の上で、世界の見方をぶった切ってみたい。」
秋山「お願いします。」
師匠「大きな目で見ると、世界の動きは『多体系』として扱えるじゃろう。つまり、同じような大きさの物体や様々な力が互いに引っ張り合ったり、押し合うという状況じゃ。任意の外力なども、ある一定周期によってもたらされるというのも組み込めるかもしれん。かなりの複雑系じゃ。」
秋山「こういう状況だと、ほぼ、予測不能じゃないですか?」
師匠「確かに複雑怪奇で予測不能じゃと思うが、ある一定のパターンや統計的な切り口で、見ることで何かしら予測するパラメータが見つかるかもしれん。が、次のように見てもらうと面白いと思う。」
秋山「といいますと?」
師匠「昔のように、技術も人口も限られ、自治において、国王などに権力が集中しておれば、大体の予測は可能になる。まさに、線形システムじゃ。しかし、それぞれの国が力を持ち、資本家がいて、宗教組織、頭脳集団も独立している。さらに、現在のように個人でもそれなりの技術にアクセスできるようであれば、まさに非線形のカオスシステムじゃ。しかし、一定のルールや法則は、機能している。もちろん、それは、法律や条約だけとは限らない、宗教、哲学、文化に根差している法かもしれん。」
秋山「なるほど…」
師匠「カオスというのは物理的にはランダムではない。つまり、上のようなシステムはひじょうに複雑ではあるが、完全な無政府状態ではない。もちろん、定量化できるかもしれんが。ただし、予測ができる時間は短くなるかもしれない。これは、天気予報もそうじゃが、最も、単純な雲の動きを想定しても、数日間くらいまでしか予測できない、といわれておる。」
秋山「現在の天気予報は、多大なパラメータとスーパーコンピュータを使ってできる限り予測してますよね。」
師匠「うむ。世界の予測もそうなるじゃろ。いや、もうやっているかもしれん。先日のニュースの記事で、人工知能を使って、世界政治や経済を予測しておった。人工知能というと大それたように聞こえるが、基本はデータマイニングじゃな。ま、こういう統計的なデータと微分方程式を使った予測可能性を認識すること自体が大事かもしれん。というのも、多くの人は、複雑さと予測不可能性が前にはだかると、思考停止になってしまう傾向もある。」
秋山「うーん。科学は何が分かっているか、わかっていないかが重要ですし、そう分析すると、何かが見えてきますよね。」
師匠「次に、政策における矛盾がどこから来ているかじゃ。保守とリベラルが互いに相補的であると信じられながら、実際の政策においては、相補しきれない点がある。つまり、イデオロギーではなく、現実的な法制定や行政において、両立しえないのは、イデオロギーが一部の原因ではないか、ということじゃ。」
秋山「少し難しくなってきましたね。もう少し簡単に説明してくれませんか?」
師匠「政治的配慮を行うためには、相対するパラメータがある。例えば、多数派か少数派か、福祉優先か金持ち優遇か、など色々とある。これらは、こっちを立てればあっちが立たないという共役関係にあるものだ。」
秋山「共役関係というと、物理では、位置と運動量みたいなものですか?」
師匠「そうじゃ。正に、イデオロギーの下でどちらかだけに偏った政策を打てば、不確定性原理のように、相対する、もう一方のパラメータの誤差が無限大になってしまい、政権が交代するたびに、大事なものが壊されていくのじゃ。もちろん、これは量子論とは原理的に関係はないが、本来共役関係にある政策は、ある一定の誤差を容認して両方の一方を強めながら進めていかなければならない。そういうことへの認識が重要ということじゃ。」
秋山「たしかに、イデオロギーや個々人の実存、出生など、メディアも煽ったりしますよね。これによって後引きできないという不健康な環境も温床になっているような…」
師匠「うむ。われわれは歴史から学ぶことができる。いわゆる、過去に起きたことを『実験』結果と見ることができるという意味でじゃ。しかし、完全にコントロールされた実験ではないゆえに、それに基づいた予測にもいろいろと想定外のことが出てくる。」
秋山「確かに、過去に起こったことと全く同じ条件を人間社会で作ることは不可能ですからね。」
師匠「このような時代、ある意味、そういう不可能性や不確定性を認識してどう行動するかが重要になるのかもしれんな。」

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物理学の役割を少し違った視点から見てみるとその使命感がわかる!

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昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

秋山「よく物理学ってどんな学問なのって聞かれるんですが、『自然を理解する科学で機械やロケットなどに応用されている』なんて答えてるんですが、師匠ならどう答えますか?」
師匠「それはそれで正しいのだが、感情に訴えていないかもしれんな。」
秋山「そうなんですよ。物理とエンジニアリングの区別もないように理解されますしね。」
師匠「特に日本では数学・物理・工学の間の壁が低いかもしれんな。これはこれで協力しやすくていいんだが、科学としての物理を理解するかしないかで、学問的な意義が見失われる可能性もある。」
秋山「科学的な見方ですね。」
師匠「うむ。今回は、前に行ったことを、あまり繰り返さずに、違った視点から物理を語ってみようと思う。」
秋山「楽しみです。」
師匠「ファラデーは知っとるな。」
秋山「電磁気の法則を発見した人ですよね。」
師匠「そうじゃ。彼が、『あなたの仕事は何の役に立つのですか?』と聞かれて、『新生児が何の役に立つのだろうか』と答えたそうじゃ。」
秋山「それは、すごい受け答えですね。その真意は何なんですか?」
師匠「つまり、物理というのは、生まれたての赤ん坊のようだ、ということじゃ。」
秋山「赤ん坊と物理、ですか。。。」
師匠「生まれたばかりの赤ん坊は何もできないし、ある一定の時間がたつまで、親や周りが手をかけなければならない。つまり育て上げるまでいろいろありながら、自立していく過程を踏む。しかしながら、社会としても赤ん坊を必要としているし、それ以上に、親が無条件で授かりたいと思い、無条件に愛情を注げるものでもある。」
秋山「それはわかるのですが、物理とどう関係してるのですか?あ!確かに、発見されたばかりの物理的事実は、何の役に立つかわからないし、理論などに組み込まれるまでも時間がかかりますよね。つまり、多くの科学者によって育て上げられるもの。社会や国家も基礎科学(物理)を必要としていますし、それを生み育てるための投資もする。何よりも、人類が自然のメカニズムを求めること自体、学問への献身的愛情とも見て取れますね。」
師匠「そうじゃ。物理が役に立つか経たないか、というよりも、物理という学問は、親や社会が考える赤ん坊そのものだ、という深い意味があるのじゃよ。」
秋山「なるほど、そういうふうに見ると、物理という学問の意味が感覚的によくわかりますね。」

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科学的な考え方を社会の見方に応用すると。。。

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師匠と秋山くんの会話の続きです。

師匠「さっき言った、数値の基準とか数値そのものは、科学的考え方ではない、というのは、社会を見る視点にもなるのじゃ。」
秋山「そういう意味で、文系と理系という分け方は、絶対的ではないということですね。」
師匠「その通りじゃ。まぁ、物の見方という点では、哲学にも通ずるが、物事の分類というのは、条件をもとにした相対的な視点を与えるだけでしかない、ということを頭に入れとかなければならない。」
秋山「で、社会を見るにおいての科学的視点とはなんでしょうか。」
師匠「おお、忘れとった。わしにとっての専門ではないが、法律に対して科学的視点がないと、社会を正しく運用できないのでは、ということだ。」
秋山「つまり、法律の文言にとらわれていれば、その背後にある理論を無視しがちになるということですか?」
師匠「そう。どのような背景において、その法律が作られたかを理解していなければ、誤った方向で適用されうる。本来は、社会全体をうまく回せるように制定しているものだから、法律の文言に対して重箱の隅を楊枝でほじくるようなことをしても意味がないのじゃ。」
秋山「確かに、世の中の議論を聞いていると、いつの間にか、どうでもよい点で右がいいのか、左がいいのか、ってやってますね。あ、僕もそんな質問を師匠にしてましたね。(笑)」
師匠「法律に書かれているものは、絶対的な悪とは限らない。例えば、文化に依存する法律もあるじゃろ。」
秋山「えーと、飲酒とかですか?」
師匠「それもあるな。イスラム教の国の全てではないが、厳しい所では、法律で禁止しているし罰則もある。まるで、危険な薬物のような扱いじゃな。」
秋山「賭博はどうでしょう?」
師匠「イギリスでは合法で、いろんなことがかけの対象になっているが、日本では、合法化されているものとそうでない行為があるな。」
秋山「この件に関しては、議論されるべき課題ですよね。経済的活性化を狙うための規制緩和、一方で、中毒者を創出してしまうリスクをどうするか、胴元が必ずもうかるシステムを野放しにする社会的な危険性など、社会全体で細かい教育や、リテラシーなどが重要になりますね。」
師匠「法律は最低限の倫理、と言われるが、これは、社会がうまく回るための「タガ」として有効なだけで、行為の倫理的判断は、その背後、もしくは、もっと上のレベルで行われる。」
秋山「規制強化や規制緩和も市民の社会活動を調節しているだけで、善悪の倫理判断ではないですしね。」
師匠「我々市民は、法律の表面的な文言に入りすぎたり、法律と倫理を一緒くたにするような議論には気をつけねばならない。」
秋山「そうですね。」
師匠「わしは、物理を教えてきたが、物理でも同じことがある。これも、数値や公式だけにこだわると、正確に問題を解けない。初学者は、物理の関係式を適当に代入して、全く見当違いの回答を出す。それぞれの関係式の背後には理論があって、その原則に基づいて、数式を操作するのが本来なのじゃ。」
秋山「確かに、科学では原理、原則、結果の意味や解釈を重要視しますもんね。もちろん、数学だけで発展させてきた側面もありますが、数学はさらに緻密な論理体系を持ってますからね。」

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日本は科学教育が進んでいるのか?本当は違う衝撃の事実

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昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

秋山「師匠、日本の科学技術の世界的評価や科学分野のノーベル賞受賞者が増えてきている、ということから、日本の科学教育は成功したと言えるのでしょうか?」
師匠「確かに、数学や理科系の教育を強化した結果であるが、日本人全体に科学リテラシーがあるかどうかに関しては、議論の余地があるかもしれん。」
秋山「どういうことですか?」
師匠「科学で成果を出せる頭のいい優秀な人は、一定量いる。それとは別に、市民の一般教養として、科学とは何か、科学的思考をもって批判できるか、というのが科学リテラシーじゃ」
秋山「このリテラシーは、いままでの学校の科学教育で習得できないものですか?」
師匠「日本では、どちらかというと、数学の教育に力を入れつつ、科学分野、物理や化学に人材を送っていた流れがある。それに加え、理系と文系と分けて、教育してきたために、初等・中等教育で科学的な見方を教えたり訓練する機会が少ない。いわゆる、科目別にエキスパートを育ててきたにすぎないのじゃ。」
秋山「なるほど。そうだとすると、たとえ科学者と言われる人でも、科学的な考え方ができているとは限らないのではないですか?」
師匠「その通りじゃ。細かいことや、数式をいじるのが好きだからやっているという人もいる。これはこれでいいんじゃが、世の中にある情報を、客観的に、事実に基づいて、適切に分析、議論ができない社会を放置するのは問題だろう。」
秋山「例えば、どのような事例が思い浮かびますか?」
師匠「例えば、数値が基準値を超えた、など、数値だけを信じて右往左往するのは、科学的思考ではない。」
秋山「数値は科学にとって大事ではないのですか?」
師匠「大事であるが、数値を得る以前の過程が分かっていなければ、意味がない。例えば、どのように測定したのか、どのように計算したのか、という部分じゃ。」
秋山「確かに、そうですね。実験値には誤差もありますし。。。」
師匠「つまり、数値の背後にある理論を議論できなければ、間違っているかもしれない数値を前に右往左往するしかない。よく聞くじゃろ、どっちを信じていいかわからい、とか。」
秋山「こういう部分は、この前、議論した偏差値教育にも問題があるのかもしれないですね。つまり、答えが合っているかどうかにしか興味がなくなる、という。。。」
師匠「うむ。それもある。点数主義の負の遺産が科学的思考を阻んでいる背景もあるようだ。」
秋山「もう少し、科学とは何かに関して教えてもらえますか?」
師匠「科学には、すべてを説明する義務はない。」
秋山「え!そうなんですか?」
師匠「証拠から論理的に推論していくこと、実験によって実証または反証しながら理論を構築すること、などが科学であって、人類のなぜに対してすべてを説明することが役割でない。」
秋山「なるほど。そこが哲学や宗教と違う部分なんでしょうね。」
師匠「あとは、予測可能である理論かどうかじゃ。説明はできても予測ができなければ、科学としては認められない。」
秋山「今日もありがとうございました。」
師匠「うむ。将来の発見や革新によって、定義などが修正されるかもしれないが、現在の基本的立場は、そういう感じじゃ。」

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専門ノート:非線形システムにおける予測可能性に関しては、もっと議論を深めなければいけませんが、統計的分析やその他の数学的ツールによって、ある種の巨視的な物理量を予測することは可能で、必ずしも時系列としてだけの予測とは限りません。