アメリカにおける教育の「質」論争と、教育利権の闇とは

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アメリカで著名な教育評論家にダイアナ・ラビッチさんという人がいるのですが、彼女のブログから抜粋した、アメリカの初等教育に対する批判記事の一部を紹介したいと思います。

ある学校で使われ始めた数学の教育ソフトがあまりにもひどい質なのに、使い続けることに教師たちが疑問を感じたというところから始まります。

まず、問題の内容があまりにも粗雑すぎる点です。例えば、これを受ける子供たちのレベルなどを無視しています。

また、問題の内容が偏っていたり、能力を診断するのに適切ではない問題が2割ほど占めているようです。

さらに、考えさせるような問題でなかったり、問題に対する答えの選択肢が稚拙だったりというのもあるようです。

例えば、次のような問題です。(元の記事はこちらです)

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「11匹の動物のうち7匹は猫です、それでは犬は何匹いるでしょうか」という問題ですが、選択肢が下のほうに4つあります。一番右の「7+11=18」は題意にあっていないと思われますが、その他の3つの選択肢は、必ずしもどれかが間違いとは言えません。

おそらく、日本人であれば、左から2番目を選ぶと思いますが、数学的な考えを養う立場で、文脈の違いを考慮すれば3つの選択肢は等価では、とアメリカ教育では考えます。

つまり、このような問題と答えで子供の能力を測定するのは、アメリカ流の教育からすると、論争を生むのです。

結局、このような問題をやらせると、いわゆる、「賢い」子供たちは、良い評価を得られる一方で、「発想力」のある子供たちを低評価する傾向にあります。

日本人からすると、首をかしげたくなるような批判ですが、個人の学ぶ自由と広範な評価を大切にするアメリカの精神が反映しています。

何度も言っていますが、日本流、アメリカ流の教育も片手落ちであることを前提に、質の良い教育を実現するには、もっと深いレベルで理解・議論しないといけないということです。

話を戻しますが、「では、なぜある学校はこのようなソフトを導入しているのか」です。ほとんどの教師に反感を買っているのにです。

実は、そのソフトを扱っている会社、政治家、その他権威のある人たちと裏で結びついているようなのです。いわゆる教育の利権といいますか、教育を金儲けに使っているというアメリカではよくあるパターンのようです。

アメリカの教育の議論は、政治、金儲け、それと国民の良心によってせめぎあっているというのが事実といったところでしょう。

日本でもただ単に、二項対立的にどっちがいいのかと叫んだり、お上の決めることに反対する・服従するというのではなく、教育に関してもっと深い議論が行えればと、切に願っています。

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高校で習う数学や物理が、大学で勉強するための基礎だと思っている方、ダマされていますよ!

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現在、世界中で、名前や年数は違えど、小学校、中学校、高校、大学という感じでいくつかの段階を経て学んでいくのは、ほぼ一緒だと思います。

ただ、カリキュラムと言いましょうか、内容や表現は、国や地域によって変わってきます。

そこで、今日は、この教育システム、特に日本のカリキュラムに関して、高校で習う数学や物理の内容が、大学で勉強するための準備になっているのかどうか、議論してみたいと思います。

確かに、小学校と中学校で習うことは、初等的な内容で、生活や仕事をしたり、さらに学ぶために必要最低限であることは確かです。

しかしながら、高校で習う内容、特に数学と物理に関して言えば、大学でさらに勉強するための基礎を教えている内容ではないのです。基礎ではなく、切り取った内容でしかありません。

実際、数学に関しては、受験問題に沿った公式を覚えて、類題が解けるようになるための勉強です。物理学は、数学に似ているから、数学っぽく教えておけば、2度手間にならないから楽だろう、って感じでカリキュラムを組んでいます。

これは、当然、文科省などから「ここまで教えてもいいけど、これ以上は教えてはいけません」と通達があるのが一つの原因ですが、大学受験があるから学校側も受け入れざるを得ないやり方だと思います。

「なぜ、大学受験なの?」に関してですが、それは、一斉に行う大学受験で粗相があったら、みんなに大バッシングを受けるからでしょう。「こんなの習っていない!不公平だ!」などいろいろ文句が出ます。

それに加えて、あまり簡単なことしか教えないようであれば、受験問題を作る側もバリエーションが減ってしまうので、それなりの量も教えてもらわないと困ります。

あと、物理や数学は、暗記するような学問ではなくて、基礎原理から膨大な概念を網羅し展開していくものなので、うまい具合に高校生のカリキュラムを作るのに苦労した、という理由もあるのでしょう。

ですから、日本の高校の数学と物理は、ひじょうに中途半端な構成になっています。もし、学問としての理論に踏み込めば、際限がない世界ですからね。カリキュラム作りに関しては、ある意味、同情しますが。。。

はっきり言いましょう。高校数学と物理は、大学で勉強するための基礎ではありません。高校で物理を取っていなくても、大学初年度レベルの物理を勉強することは可能です。

もちろん、簡単ではありませんが、やる気さえあれば、中学レベルの数学や科学の知識をもって、約1年で十分全体像がつかめるくらいになります。むしろ、余計な先入観がないために、すんなり学ぶことができるでしょう。

学校の世界にも大人の事情や闇があります。もちろん、知らなければ、騙されるのは仕方がないでしょう。でも、強く思い込んでしまうのは、新しいことや真実を学ぶことへの弊害になるということも、頭の片隅に置いておくことが大切かもしれませんね。

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学校で習わない事実!数学と物理の違いって知っていますか?

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英語と日本語(国語)の教科の違いは皆さん、ご存じでしょう。しかしながら、数学と物理の違いというものは意外と分かっていないんではないでしょうか。

端的に言えば、物理学は科学になります。しかし、教科書をのぞくと、数式が羅列されていて、問題を解く方法だけ見ると、数学とほとんど変わりません。

したがって、意外と大人の方でも、正確な違いや数学と物理学の関係性を説明できない人が多いようです。これは、学校で教えていないのが原因だと思いますし、受験科目のうちの一つであれば、そこまで知る必要がないと思われているかもしれません。

他にも、物理学は難しいので学校で教えなくなる傾向があったり、ノーベル物理学賞も、日本人が取ってないと一般のテレビで報道すらしないというのを見ても、そもそも一般の理解がないという現状がわかるでしょう。

それでは、物理学と数学の違いは何なのでしょうか。数学は論理世界への探求で、物理学は、自然世界の探求する学問です。

「そんなことはわかっている」という人も多いと思います。それでは、もう少し掘り下げてみましょう。数学というのは、自然で何が起こっているのかはどうでもよく、論理的であるかどうかに興味があります。

その論理を展開していくにつれてあるルールが見えてくると、それを証明します。このように、論理の世界を広げていくというのが数学の役割になります。論理的で緻密であることが求められるのですが、人間の住んでいる世界との整合性は関係ありません。

一方で物理学は、自然の反応(実験結果)をもとに、どのようなメカニズムをしているか解明する学問です。当然、その全貌を明らかにすることによって、理論が構築され、その理論から、実験結果を一般的に予測できるかどうかが役割になります。

したがって、物理学は、たとえ数学的に過去の実験を説明できても、未来の実験結果を予測できなければ、その理論は淘汰されます。物理における決定的な証明は、数学的なものではなく実験結果なのです。

ですから、物理学を数学的に証明するというのは無いんですね。意外と皆さん、この部分を勘違いされています。もちろん、物理学の一部を数学的に定理化して証明することはありますが、自然のふるまいそのものを数学的に証明することはできないということです。

当然、数学的な考察が物理学を発展させたことも歴史的にありますし、物理学で使っていた概念を数学化したものも多々あります。ただ、役割の違いが分かっていなければ、誤って利用したり、意味のない議論になってしまいます。

現在の日本教育では、歴史的な役割という側面で教科を教えていません。これは、受験でより多くの点数を取ることが社会的な目的になってしまっているからでしょう。

未来のための教育をするという視点から改革していくには、単なるカリキュラムの変更ではなく、人類が築いてきた知識と知恵に対する尊敬や感謝がないと根本的に進まないかもしれませんね。

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今日、本屋で久しぶりに高校の数学・物理のカリキュラムを確認してきました

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最近、社会人の方にも高校数学や物理を教える機会も増えました。かなり長い間、米国の大学のカリキュラムで教えていたので、日本のが懐かしく感じられます。

しかしながら、社会人の方も、「高校の数学ってちょっと現実社会に合ってないよね」という意見も聞くことが多いので、今日は少し、その辺のお話をしようと思います。

基本的に、日本の高校のカリキュラムは、ここ何十年も変わっていないようです。もちろん、マイナーチェンジはいろいろあるともいますが、いわゆる、原理原則は全くと言っていいほど変わっていないようです。

端的に言えば、「公式」を切り取ってきて、それで解ける問題や類題を紹介するだけの学習カリキュラムです。

本屋で確認したのですが「なぜ」という問にも答えないですし、その背景の説明もほとんどないような参考書ばかりでした。

いまだに、受験ビジネスのための無味乾燥な内容を教えているのか、とため息が出ましたが、逆に、今まで日本人は受験には関心があっても、教育には関心が無かったことも残念に思います。

この間、ある高校生の親御さんが言っていたのですが、「塾なんかでも、儲けのために授業は多くとらせるのだけど、練習や学習をさせる時間をもうけない」とのことです。

「我々は、何のために学ぶのか、何のために学問を追い求めるのか」という感覚が不在なんですよね。

私も、もう少し頑張らないといけないと感じた今日この頃でした。

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数学、科学、工学の違いがわかりますか?

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たまに、日本語の記事を読んだり、日本の方と話していると、数学と科学、科学と工学などを混同している方が多いのに気が付きます。

恐らく、理系・文系という区別の中で曖昧になってしまっている感じでしょう。加えて、どの教科で点数を取るかを目的とした受験の一部としか見ていないからなんでしょうか。

そこで、少し数学、科学、工学とは何かについてお話ししましょう。

まず、数学は、基本的なルールを作り、そこからいろいろな事実を導き出し、その数学的世界観を広げていく感じです。当然、論理的に緻密な世界でなければいけないので、世界構築の作業が数学にとっての肝になります。

ルールに従い、論理的であるということが主体であるため、人間が生活している現実世界と必ずしも一致しません。むしろ、人間世界とは全く違うものが数学的な世界です。

一方で、科学とは、自然を探求する学問で、人間が面している世界がどのように構成されているかを調べるのものです。ですので、実験結果が最終的な証明手段となります。

科学に数学を利用するのは、自然が数学的である部分があるからで、その一部を利用しているだけです。また、数学的な科学モデルも無数に作ることができますが、それが、実験結果を予測できなければ、たとえ数学的に正しくても淘汰されてしまいます。

最後に工学ですが、良くエンジニアリングとい言われるものです。工学は、人間の生活や人間が実現したいことに対して行われる技術になります。その実現手法に電気を使えば、電気工学、力学的なものに基づいていれば機械工学など、いろいろな分野があります。

とにかく、工学は、人間が作るという発明に関したものと言えばよいでしょう。そのために自然科学や数学の一部を利用しています。

それぞれ重要な役割があるのですが、日本では科学に対する認識が低いように思えます。

確かに、日本のように数学、科学、工学の垣根が低いと比較的簡単に分野間で交流できるという利点はありますが、それぞれの得手不得手を把握して俯瞰することができないので、新しいことを行うためのリーダーシップが取りづらくなってしまいます。

現在、提供されている教科が何のためにあるのか、たまには考えてみても良いのではないでしょうか。

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自然数、整数、有理数、無理数といわれる数の面白さとは?

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昔々、人類は、数というものを発明しました。身近にある者を数えるために、1,2,3、…など…これは自然数と呼ばれるものです。

その後、零(ゼロ)という概念が発明され、それに負の数を含め、整数というグループまで数が広がりました。

負の数も身近で言えば、負債などを表現しますが、一番不思議なのが、負の数かける負の数が正の数になることらしいですね。もちろん、単純に負債×負債=大金ではないのですが、ある人が言うには、「階段を下に向かって、後ろにあとずさりしていけば、上に登っていくでしょ」というのが負数×負数の概念を理解しやすいかもしれません。

しかしながら、整数だけで、すべての状況を表せないことがわかってきます。例えば、1つのリンゴを2人で分けると、一人あたりのリンゴの数は、もはや整数になりません。

ここで、分数という概念が出てきます。分数で表される一般的な数を有理数と言います。もちろん、有理数には整数も含まれています。なぜなら、3であれば、1分の3と分数表現できますからね。

これで、人類の周りにある数をすべて表現できることになるのでしょうか?まぁ、普通の生活レベルでは問題ないでしょうが、ある種のお仕事に従事していれば、まだ必要な数はあるようです。

例えば、正方形の面積がわかっている場合、その正方形の一辺の長さはどのように表されるでしょうか?

正方形の面積が4平方メートルであれば、1辺の長さは2メートルですが、面積が3平方メートルなら、どうなるでしょうか?同じある数をかけて3に近くなるような数字は、求めようと思えば求めることができます。

3平方メートルの面積の1辺の長さは、大体、1.73メートルになります。もちろん、少数点以下の数が無限に続くこともわかってきました。つまり、分数では表せない数です。これを無理数と言って、同じ数をかけて3になる数を√3と定義しました。これを平方根と言います。

他にも、数の定義ができますが、人類にとって基本的な数は、上記の数の集まりで、すべてひっくるめて実数と呼びます。

ところで、1から10までの平方根のなかで、整数になるのは、1と4と9だけです。つまり、√1は1、√4は2で、√9は3になります。それ以外は、小数で表されますが、昔から、語呂合わせで覚え方がいくつかあります。

√2=1.41421356 「ひとよひとよにひとみごろ」(一夜、一夜に人見ごろ)
√3=1.7320508 「ひとなみにおごれや」 (人並みに、奢れや)
√5=2.2360679 「ふじさんろくおーむなく」 (富士山麓、オーム鳴く)
√6=2.449489 「によよくよわく」 (煮よ、良く、弱く)
√7=2.64575 「なにむしいない」 (菜に虫いない)ちなみに「な」は√7
√8=2.8284271 「ふわふわよにない」 (ふわふわ、世に無い)
√10=3.16227 「みいろにふな」 (三色に鮒)

ここで、注意しなければならないのは、「い」が1になったり5になったりするところです。√2や√3の小数はよく見かけるので、この二つは覚えた方が便利かもしれませんね。

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高校数学が大人にとって学びづらいという事実

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以前、社会人の方で数学検定のために、高校数学を中心に教えていたことがありました。

教科書を見ながら、疑問点などを説明しながら、全体的に説明していたのですが、そこで、その方からこのようなことを言われました。「高校の数学は、説明しないで公式を渡して、すぐに問題を解かせるから、わかりづらい」、と。

もちろん、私は「なぜ」なのかを全部説明したので、お客様は、教科書に対して文句を言っていたのですが。この気持ち、まさに私が高校生の時に思っていたことでした。

当時、教科書も参考書も先生も、「これが公式です。しっかり暗記しましょう。それでは、問題を解きます。」というパターンで、なぜそうなのか、ここに至るまでの意義は何か、など一切ありませんでした。

大体の高校生は、長いものに巻かれた方が良いと考えるか、適当にやりながら自分の好きな道を探すかでしょう。

ここで、立ち止まって、考え込むような高校生は一切相手にされませんでした。(たぶん、今でも相手にされないでしょう)

結局、日本の高校教育は、大学受験のために編纂されたものなのです。これは、私が、大学・大学院、研究、アメリカのカリキュラムなど多くの事柄に精通して来たから言えるのですが、現在の教育を取り巻いている人たちは、残念ながら裸の王様をおだてているような感じです。

日本でもアメリカでもそうですが、教育改革というものをひっさげて、偏差値教育、ゆとり教育、No Child Left Behind (アメリカの全ての子供を落ちこぼれさせないための政策です)などルールや制度を変えていきますが、どうも根本の部分を見ていないようです。

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そもそも答えがあるかわからないのが大人の数学・物理

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ここ最近、大人と子供向けの学習のお話をしています。子供というのは、小・中・高校生までの学習の仕方をいいます。一方、大学以上のいわゆる世にある学問を学び、探求することを大人の学習としています。

今日は、問題と答えに関して、子供と大人の学習の違いをお話しします。

高校までは、ある意味、国(アメリカならば州)が、子供向けに枠を作って、教え方を定めています。

つまり、教える内容に境界を設けて、与える問題は、学習が少しずつ進むようにアレンジされています。もちろん、大学初年度もこんな感じですが、大学の場合、境界はもうけていないので自由にアプローチできます。

ですから、高校までのカリキュラムで行われる大学受験の問題には、答えがあることを前提にしています。

確かにどんなテストも、そんなものです。したがって、ここまでは、何も問題はないのですが、「どんな問題でも答えがある」と信じてしまったまま、大人の世界に入っていくことが問題になるのです。

この前、ある学生から「この証明は、ストレートにこの集合を用いて進めていますが、たぶん、補集合を用いても証明できると思うんですよ。ちょっとやってみてくれますか?」というような質問をいただきました。

まるで、どんな問題設定をしても答えがすでにあるような感じで質問していたようでした。

すでにその証明があって、それを説明してほしいというのならば、まだわかるのですが、このように、新しく問題設定をした場合は、まさに、ゼロから状況を定義して、それを整理し、試行錯誤しながら進めていくものです。

もしかしたら、その方向自体が間違っている場合もあります。また、現在の知識では簡単に求まらなかったり、答えがないと証明されることもあるのです。

物理学のような科学の世界もそうですが、簡単に「こうしたらどうなるのだろう」とか、「なぜそうなるのか」という質問が、現在の技術や数学では簡単に解けないというものはたくさんあります。

残念ながら、意外と、このように、大学を卒業した人たちでも安易に答えを求めようとする人が多いような気がします。

点数主義的で、答えを得ることを他人任せにしている人たちというのは、まだ高校までのカリキュラムに縛られているのかもしれません。

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大人の数学・物理の学び方:本当に高校レベルを卒業しましたか?

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特に日本国内では、教育は高校までの学習に重きを置いていますが、残念ながら「大人」としての学び方は一切教えていません。

社会的責任を持つ大人として、物事の理解の仕方や、問題の解決の仕方は、とても重要です。しかしながら、大学受験を中心とした勉強だけを強調すると、その大事な「大人」の学習力が身に着きません。

高校までは、いわゆる、お子様学習であって、そのためにカリキュラムを整えて、問題なども解きやすくアレンジされているのです。

そこから、大学に入って「大人」としてOpen-ended(いわゆる決まった解答がない)問題にあらゆる視点からアプローチしていく力を養っていくのです。

「それでも、数学・物理やその他の科学、技術であれば、答えは決まっているんじゃないの?」という人もいるでしょう。もちろん、過去の問題には答えがありますが、現在、目の当たりにしているものは、条件が違ったり、やり方が変わったりなど、多くの局面から今までにない答えを求めていかないといけないのです。

まさに、大人の課題は、自分で理解し、自分で解答を作り、自分で確かめないといけないのです。上から与えられた答えが決まっている「大学受験」までの子供の課題ではないのです。

大学で扱う教科書は、今ある学問の体系全体を見通しているため、ここまで学べばよい、というような境目がありません。

簡単か難しいか、というよりも、一番基礎的な原則から出発して、そこからどんどんと広がって行っているものを扱っています。

そこで、大人の学習の仕方、大人の理解の仕方が重要になります。まずは、何が基本で、何が一番重要な枠組みかを把握します。今わからないことは、ぼんやりと頭にとどめて、他の文献や議論などによってゆっくりと外堀を埋めていくように理解していきます。

高校までだと、ひとつひとつ理解して進んでいきましたが、大学レベルでは、内容が抽象的なものや高度に複雑なものも混在しているので、「理解できないと先に進まない」という態度では、ひじょうに学習効率が悪くなります。

大人として始める学習は、子供の学び方からの卒業から始めてみてはどうでしょうか?

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数学の初学者が電卓を使ってはいけない理由

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数学や物理を勉強するのに電卓を使っていいのでしょうか。良く昔、子供のころ、親や先生から「電卓で計算してはいけません」と言われていなかったでしょうか?

ではなぜなのでしょうか?主な理由としては「脳が楽をすることを覚えてしまっては、計算力が養われないから」なのでしょう。

しかしながら、当の本人は実感できないのも事実です。そこで、私が教える立場から、初学者が電卓を使って数学を学ぶべきではない事例をご紹介します。

以前、ある大人の方に数学(中学・高校レベル)を教え始めました。最初は、電卓を使っていたのですが、なんとなく、何を計算しているのかわかっていらっしゃらないようでした。

そこで、急遽、電卓の使用を禁止して、手で計算をさせるようにしました。確かに、面倒なのですが、そこから、数字を扱う感覚が養われてきた感じがして、答えが合っているか間違っているかの判断もできてきたようでした。

手で計算するだけが原因ではないと思いますが、明らかに、脳のいろいろな部位を使っているように見えました。

実際、教える際も、どのように計算しているか、また、どのように検算するかを意識させるには、手計算の方が効果的な気がします。

一方で、アメリカは、高校生くらいから電卓を使わせているようです。もちろん、それはそれでよいのですが、計算慣れしていない人は、電卓が何を計算しているかわからずにたたいているので、答えと違う結果が出ると混乱しがちです。

また、初歩的な電卓の知識もなければ、修正できないのも問題です。例えば、掛け算と割り算が、足し算や引き算よりも先に計算されたりなどわからなければ、何度やっても答えは違ったものになります。

やはり、私が子供の頃に受けてきた指示は正しいというのは、教えることを通じて基本的に正しかったと言えます。

まとめとして、まず、基本的な計算の原理を手と紙で体で習得しましょう。これは、大人であっても、初学者であれば、絶対にそこから始めるべきです。

そのあと、電卓を使うにあたっては、電卓の使い方の手ほどきを受けましょう。電卓にしても数学ソフトを使うにしても、それらは、無条件に正しい答えを出すわけではありません。あなたが打った入力に対して実直に答えを返しているだけなのです。

どんなに便利な世の中でも、最終的には人間が確認できることを担保していないといけないようですね。

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