日本人は真実を求めたい、のではなく、答えを知りたいだけなのでは?

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テレビや新聞、ネットや周りの人たちの言動をよく観察すると、多くの日本人は、「真実を知りたい」と言いながら、実は真実には興味がないのではないか、と思うようになりました。

まず最初に「真実」とはなにかです。真実というのはいろいろな方法で徐々に近づいていくもので、必ずしも「わかっている」ものではないのです。

状況から「そうではないか」というように仮説を立てながら、また、さらなる情報を集め、実験や計算などを繰り返しながら全貌を映し出していく作業なのです。

その過程で簡単に判断したり、安易な手法で無理やり真実を作り出すようなことをしてはいけません。状況によっては、合っているのか間違っているのかさえ判断せずに見守ることをしながら、チャンスがあれば真実に近づいていく感じです。

まさに、数学や科学の世界では、わからないものに対してこのようにアプローチしながら、真実(またはその一部)を知ることになるのです。

しかしながら、多くの人たちは、「真実を知りたい」と言いながら、「誰か答えを教えて」ということを平気でやっているのが現状です。

これは真実ではなく「答えを教えてほしい」というだけで、安易な解答を得て溜飲を下げているだけなのです。

質問するときもそうですが、本来、質問は外堀を埋めていきながら、少しづつ真実を暴き出すのがポイントです。

それが分かっていない人は、答えを求めるように「実際やったのですか、やらなかったのですか」とか「あるんですか、それとも、ないのですか」というように質問します。

これで、無理やりその人に都合の良い答えを引き出すと、冤罪になったり、様々なトラブルを生むようになります。

よく考えると、いままでの教育が原因なのではないかと思います。学校の先生から問題を出され、その答えは何かを示されるだけの授業だとか。受験で合格するには、どういう問題にどのような答え方をすればいい、など、物事の状況はさておいて、答えさえ求まれば、それでよいという社会風土を作りすぎたのではないでしょうか。

その教育法は目的が分かっていれば効果絶大なのですが、一方で「洗脳」に使われるような手法なので、気を付けなければいけないんですけどね。

教育法は長所と短所があるので、今までの教育のすべてが悪いとは言いませんが、いまのいままで、うまく修正できなかったのは問題といえば問題でしょう。

今回は多くの日本人が誤解している、真実と答えの違いに関して教育の側面から議論してみました。

大人のための家庭教師

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